なんとなく自分の思い出語りとして残しておこうと思ったので書くことにしました
「新規」とか「古参」とか「出戻り」とか…いろいろ言葉が飛び交う中、バクチクの場合の自分はどれに当たるのかなぁなどと考えてみる
V系という言葉はまだなかった高校生の頃、CDウォークマンに持ち運びができる小さめのスピーカーをつなげて教室の端っこで数人で輪になっていつもなんかしらのバンドの曲を流している集団に属していた
バイト代はライブの追っかけで消える。移動費を節約するために夜行バスや鈍行の乗り換えが得意になる。当時はネット環境などないのでポケット時刻表がお供
めぼしいバンドや話題になったバンドのライブはホイホイ行く
電車で2時間かけて原宿に行き、憧れのメンバーとお揃いのアクセサリーを買う
当時、親に「(あんたのハマり方が)宗教みたい」と言われていたバンドがいた
そのバンドを中心にどちらかというと『まだ世に出ていないバンド』のライブに行くことが多かった。青田買い的な気持ちもあったのかもしれない
なのですでに名実ともに『売れている』バクチクにはそこまで興味がわかなかった
まだ青いバンドが好きな私には【完璧】すぎて見えた
それでもやっぱり多少金銭に余裕が出てきたときにはバクチクのCDも買うようになった
初めて発売と同時に買ったアルバムは『COSMOS』なので96年のことだったらしい
自分は高校を卒業して社会人になっていた
高校生の頃より素直に「かっこいい」と感じた
積極的に追うことはなかったけど、なんとなく自分の生活にバクチクの気配はずっとあった
その後、前述の「宗教」と言われるハマり方をしていたバンドのメンバーがクスリ所持で捕まる
ネットで情報が得られない時代、スポーツ新聞や一般の新聞、とにかっく早朝のコンビニで入手できる新聞は片っ端から手に入れてそのまま仕事に行った
情報が出てからずっと電話でバンド友達と泣きながら電話をしていた。目が腫れ上がっていたので、事情を察した仕事場の人に「今日は休む?」って言われたけど一人で家にいたらそれこそどうなるかわからないのでそのまま仕事をさせたもらった
私はなにより『バンドが解散してしまうかもしれない』ことが怖かった
待ってろと言ってくれればいくらでも待てる自信があったから、とにかくメンバー自身の声明がほしかった
その間、何度も『バクチクのファンだったらこんな不安を抱えなくてすむのに』と思った
過去に「(今井さんのことを)待つことは当然だと思っていた」といったようなことを他メンバーが雑誌か何かのインタビューで答えているのを読んでいたから
(記憶と印象で書いているので詳細は違うと思います。でもたぶん内容の解釈としてはそういうことだったと思う)
私も早く他のメンバーにそう言ってほしかった
必ず(捕まったメンバーの)復帰まで待つから、メンバーチェンジはしないから、解散なんてないから
しばらくしてそのバンドのリーダーから『(捕まったメンバーの)脱退はないです。本人が辞めると言っても俺が止める』といった内容のコメントが出て号泣した
これで安心して待てる、と
それが裏切られるまでは思った以上に早かった
バンド活動を再開しますという発表がなされた時に捕まったメンバーのことは何も触れられなかった
これはダメなんじゃないかとなんとなく思った
ファンクラブの会報に小さく脱退のお知らせが出た。復活ライブの時にサポートで入ってくれた人が正式加入!の華々しいお知らせにまぎれて、見逃す程度の扱いだった
こんなに大事に思ってたバンドのメンバーが変わることを、まるで面倒ごとの処理のようにするんだな…この人達は…って思った
復活ライブはチケットをとっていたので行った。行って納得したかった。友達は全員行くのをやめた。すごく華やかで素敵なステージだった
いなくなったメンバーのことなんて1ミリもなかったことのようにされていた
その後も『私がバクチクのファンだったらこんな思いはしなくてすんだのに』って、友達に冗談みたいに何度も言っていた
(ちなみにメンバーチェンジから25年以上経つけど、いまだにそのバンドを見かけると心臓がキュッとなる)
(そして過去にこのくらいの熱量で好きだったバンドがあるから、ぬるいファンをファンと認めたくない人の気持ちもわかる)
(でもここまで強火じゃなくても好きだったらファンって言ってもいいよね…?という気持ちもある)
トラウマというわけではないけど、それ以降宗教のようなハマり方をするバンドは現れなかった
自分が年をとっただけかもしれない
ヴィジュアルロック系から少し離れてみたりもした
ライブハウスでいつも腰骨に痣を作っていた私が、ライブハウスなのにほんのり隣との隙間ができるくらいのバンドばかり見に行くようになっていた
夢中になりすぎないことが心地よくて楽しかった
正直、もうああいう思いはしたくないというのもあった
だからというわけじゃないけどバクチクは『いつでも安定してそこにある』安心感で、ふと思い出したように数年に一度ライブに行っていた。一人で
一人で行ってもなんだか落ち着く、そんな空間が嬉しかった
一番近い距離で見たのは武道館の一階席前方、今井さん側。ほぼ真横から見る感じだったのでステージ全体を正面から見られないのは残念だったけど、ずっと遠くにいる星野さんがたまにこちらに来てくれる時のボーナス感にめちゃくちゃアガったことはよく覚えている…
(今さらですが、バクチクの中で一番好きなのは最初から今の今までずっと星野さんです
落ち着いた風貌なのに、なんか…妙に派手なカッコしたり…よく知らないながらもたまに感じるギャップが魅力的な人だなぁ…ていうか単純にかっこいいんだよなぁ…って思ってました)
なんだか本当にとりとめないんですけど、私とバクチクはずっとこんな感じでした
ものすごくハマッたり追っかけたりした瞬間は一度もないんだけど、ずっと生活の近くに気配を感じる
バクチクは世間にもっと知られたら絶対に再ブレイクすると思っていたので、Mステに椎名林檎とあっちゃんが出たときはバンドだと敬遠する周りの知人にもこれなら!と「あっちゃんの顔だけでも見て!そしたら歌も聴いて!!他の曲も聴きたかったら貸すから!!!」ってラインを送っていたので、あっちゃんの訃報が出たときはもしかして以前すすめてくれた人が亡くなった…?ってこの時のMステを思い出して私に聞いてきた人がいた
それくらいあっちゃんが印象的だったんだろうな、と思った
訃報は夕方のニュースで知った
何も考えずにつけていたテレビで突然『櫻井敦司』の名前が出てきて、なにごとかと思った。訃報だとはその瞬間までまったく思わなかった
バクチクはずっと生きてそこに存在しているとかたく信じていたんだと、あとで冷静になって考えた
そんなことあるわけないのに
失って初めてわかる、じゃないけど。いつでもライブをやってくれていて、新曲が常に出て
そんな状況が当然であるはずないのに
ものすごく贅沢な状況を「当たり前の日常の一部」として消費していたんだな、って数ヶ月かけて理解した。というか今まさに理解している最中
今までファンクラブに入ったこともなかった
そんな私が献花に行きたいなんてずっと深く追いかけていたファンの人達に失礼なんじゃないだろうか。でも私、いまだに同じように考えてhideの献花に行かなかったことをこういうことがあるたびに思い出してる
やっぱり、今回は…申し込んで参加できるのならさせてもらおうと思った
武道館も行けるものなら行きたい
会報で他のメンバーが今どう思っているのか語ることがあれば知りたい
悩みつつ初めてアルバムを買ってから26年後にファンクラブに入会した
チケットはご用意されなかったし、今年の年末のチケットもご用意されていない。でもそれはそれだと思うので流れに任せたい
WOWOWに入って映像で観ることができた。いい時代だと思った
少しでもいい環境で観たいと何年も購入を検討するのみだったプロジェクターを買ってしまった
最高なので迷っている人がいたら購入をオススメする
壁一面のあっちゃんのドアップは見ているだけで細胞が活性化する気がする。たぶんしてる
生まれて初めての「おさかなさん」になったことがちょっと嬉しくて、でもきっかけが違っていたらもっとよかったんだろうなとは思うけど
自分が生きている限りは『好きだ』と思うことには一生懸命好きでいたいから
これからも浅瀬の稚魚のまま、これからのバクチクを楽しみたいと思う